ウクライナの思い出

ウクライナ

ロシアのウクライナ侵攻から約10日が経ちました。
Tabiはウクライナを訪れたことはありませんが、ウクライナ人の友達や知り合いがいます。
今日は旅先で出会ったウクライナ人のおじさんとの思い出を紹介します。
おじさんとおじさんの家族の無事とロシア侵攻が1分1秒でも早く終わることを願って。

1. バスでの出会い

約半年前、モンテネグロのコトルから南部のウルツィニにバスで移動していた時、
途中のバス停でおじさんが隣の席に座りました。

モンテネグロは鉄道が発達しておらず、都市間の移動は大型バスを利用します

自分がケータイをいじっている間、なんとなく視線を感じていたのですが、
いきなりおじさんは笑いながら自分のケータイの画面を見せてきました。

Ваш персонаж схожий на ієрогліфи(お前の文字はヒエログリフみたいだ)

いやいや、キリル文字もたいがいだろと思いながら Seriously(マジで)?と返すと
おじさんはほとんど英語が分からない様子。お互いウクライナ人と日本人だと
伝わったところで、Google翻訳を見せ合うコミュニケーションが始まりました。

2. ウクライナのおじさんと文通

おじさんは家族とウクライナ中部から車でモンテネグロまで来たとのこと。
おじさんが地図で指さしたところは、キエフから少し東にある町でした。

「ここに来るまでどのくらいかかったの?」
「3日。」
「ここに来る途中で車が故障して、首都ポドゴリツァでしか直せる人がいないから、
 車を取りに家族をビーチに残してバスで向かってるんだ。」
「車が直ったらどこへ行くの?」
「1か月バカンスがあるから、クロアチアやハンガリーに寄ってウクライナへ
帰るんだよ。」
「うらやましいね、日本人は1週間がやっとだよ」
「人生は短いから、色々なものを見ないと損だろ?」

3. ウクライナ人としてのアイデンティティ

その頃の自分はウクライナ語とロシア語の違いが分かっていなかったので
(友達や知り合いは英語ができるので、話す機会がなかった)
とりあえず知っているロシア語の単語を話してみたのですが、おじさんは
「これはロシア語、ウクライナ語じゃない」とたしなめられました。
バスを乗り継ぐまでの約1時間半、お互い話せないながらもゲラゲラ笑って
コミュニケーションしていたのですが、その時だけ一瞬真剣なまなざしが
見えました。それから別れる時に、ありがとうを言おうとしたのですが、
出てきたのは痛恨のスパシーバ(ロシア語)。
「ジャクーユ (до побачення)だよ、でもありがとう」

4. 戦争は悲劇しか生まない

ここまでウクライナ人のことしか触れていませんが、知り合いや旅先で会ったロシア人に
悪い人はいませんでした。というより、今の時代を生きていて何人だから何だ、
という偏見はもう古いと感じます。
直接的な被害は元より、民族的な分断を呼ぶ戦争は悲劇しか生みません。
ロシア政府の暴走が止まり、おじさんやおじさんの家族が元気でいることを願います。

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